「仕事ができない人」の反省 その1
今までと同じようなスタンスで仕事をしていたらきっとまた「仕事ができない人」として同じレッテルを貼られてしまうので、過去の自分を反省してみようと思います。
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上司・先輩からの注意を軽く聞き流してた 【今は直し済み】
昔は自分が仕事ができないとは思っていなかったので、上司や先輩からの注意もありがたく受け取りつつも、時々受け流してしまったり、冗談のようにとらえて軽口で対応してしまったりしていました。
また、これは先輩の注意の仕方も悪かったといまだに思っていますが、注意を受けたときに反論することがよくありました。
でも、反論ってあんまり建設的な議論にならないんですよね。
指摘してる側も自分が正しいと思ってるから、お互い意見がぶつかりあって後味悪く終わってしまう。
正直相手によるところはあるのですが、強めの態度で指摘してくる先輩には「はい、はい」と言って従っておく(もしくはそういいながら正しいと思う方の作業をする)のが正解だと学びました。
人間的にできた上司・先輩から受けた指摘については、もし自分の思いがあれば反論というよりは思いを伝える、というスタンスで対応すればいいと思っています。
一番いけないのは、感情的になって反論すること。
さすがに年を重ねるとイラっとすることも減ってきましたが、時には「違う!」と言いたくなる時もあるのでそこはぐっと我慢できるように意識しないといけないと思っています。
この点についてはだいぶ前に反省したので、今は直っているはずです。
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めんどくさい、という思いが勝ってしまう
これが私の中で結構大きな問題だと思っています。
例えば、資料の誤字脱字や体裁、フォーマットなどの細かいチェックが苦手です。
細かいし、時間がかかるし、とにかくめんどくさい。
これをやらなければ依頼された資料を定時までに出せるのに、細かいチェックをするとあと1時間はかかってしまいそう…というときは、チェックせずに定時内に提出する方を選んでしまっていました。
でも、受け取った側って結構そういう点を気にしたりするんですよね。
なぜなら、自分が資料を作るときは意識して直してるから。
自分は当たり前のようにやっていることを、この資料を作った人はやってないと思われてしまうんだろうなと思います。
実際、こんな私でも人の資料をみて誤字脱字やミスがあった時は気づいてしまうし気になってしまいます。
なので、やっぱりめんどくさいという感情は抑えて、なんとか頑張って細かいところにも対応しないといけないのです。
資料の中身が一番重要だから、中身に問題さえなければいいという考え方もあるにはあるのですが、結局は人間なので小さいミスもイメージ上減点にはなります。
仕事ができるという印象を積み重ねている人の資料にたまたま誤字があったぐらいならだれも気にしませんが、仕事ができないと思ってる人が誤字脱字がある資料を出して来たら、「そういうとこだよ」と思いますよね。
だから、仕事のうえでは「めんどくさい」と思ってもやることを優先しないといけないなと思いました。
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「自分の中でクオリティを高める」という考え(プライド)がない
先ほどの「めんどくさいが勝ってしまう」にも通じるところがあるのですが、自分が人に渡す資料のクオリティを、自分の中で最高の状態にする、というマインドがありませんでした。
先述の誤字脱字のような細かい点ではなく、中身の方です。
例えば、「この説明をもっとわかりやすくする(追加調査含め)」とか、「資料を見やすいように図式化する」とか、「こんな説明を加えた方が相手に刺さるんじゃないか」とか考えるは考えるのですが、その先の「もっと良くできるんじゃないか」みたいな思いはなく、どちらかというと「伝わればいっか」というスタンスでした。
周りを見ていて気付いたのは、資料に対しても「もっと良くできるはず」という思いがベースにあり、「この資料を作ったのは私です」と胸を張って言えるような資料を作ろうとしているということです。
例えば、何かの講師やクライアントから説明があったことについて資料にまとめるとき、今までの私だったら聞いたことだけをまとめていました。
でも、周りの人は聞いたことにプラスしてより分かりやすくなるような情報を自分で調査して加えてたんですよね。
「講義・ミーティングの内容をまとめるだけ」ではなく、「この論点についてより分かりやすい資料を作ろう」という意識が必要なんだなと気づきました。
個人的にはザ・日本の教育というような教育を受けてきて、言うことを聞いておく、勝手なことはしない、というスタンスで長くやってきてしまったので、聞いてないこと以外のことを追加で調べるということに対して消極的になってしまっていたのですが、今の時代はそれだと「仕事ができない」とみなされてしまうんですよね。
ただ、同じ情報をインプットして同じようにアウトプットして他人と比較するという機会はなかなかないので、このことに気づくには時間がかかってしまいました。
(正直、誰か指摘してよ、と思いますがその思いについては後ほど書きます)